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  1. 2018/12/19
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    KEN NAKAHASHIでは、2019年1月11日(金)から2月2日(土)まで、グループ展「Soft Mirrors」を開催いたします。

    出展作家: 井原信次、海老原靖、エリック・スワーズ、大垣美穂子、松下まり子、森栄喜、ヨーガン・アクセルバル、任航(レン・ハン)

  2. 2018/11/10
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    森栄喜が2018年12月1日(土)から2019年1月27日(日)まで東京都写真美術館にて開催される第15回目となる「日本の新進作家」展に参加いたします。

  3. 2018/10/30
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    森栄喜による展覧会「Letter to My Son」(仮題)を11月23日から12月22日まで開催いたします。

    詳細については近日中に公開します。

  4. 2018/10/29
  5. 2018/09/23
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    森栄喜がフェスティバル/トーキョー18に参加します。

  6. 2018/09/13
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    第52回造本装幀コンクールで、ヨーガン・アクセルバルの写真集『GO TO BECOME なりに行く』が審査員奨励賞を受賞しました。

    • 『Go to become なりに行く』
    • 写真 ヨーガン・アクセルバル 
    • 詩 高橋睦郎
    • 出版社: roshin books 
    • 装幀: 加藤勝也 
    • 印刷・製本: 山田写真製版所

    https://www.jfpi.or.jp/topics/detail/id=3880

  7. 2018/09/10
  8. 2018/09/06
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    KEN NAKAHASHIではこの度、10月19日(金)から11月10日(土)まで、3度目となる井原信次による個展「MEYOU」を開催いたします。


  9. 2018/07/31
  10. 2018/07/25
  11. 2018/07/11
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    大垣美穂子による個展「Soft Landing」がGalerie Vossにて開催されます。

    • 会期: 2018年8月31日 ~ 10月13日
    • Galerie Voss (ドイツ デュッセルドルフ)

  12. 2018/05/17
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    Mariko Matsushita Interview | Oriental ideals in a postmodern shell | Odalisque Magazine

    日本語版

    松下まり子:ポストモダンの外殻に宿る東洋のイデア

    日本文化は、西洋文化にとって止むことなくインスピレーションの源であった。200年以上に渡り続いた鎖国時代から開国にかけてのジャポニズム、ゴッホやドゥガ、ミュシャなどの芸術家を魅了し、リアリズム(Realism)からアール・ヌーボーそして象徴主義(Symbolism)までの芸術運動に大いに影響を与えてきた。オダリスク・マガジンは日本のアーティスト、松下まり子と話す機会を得た。この記事はそのインタビューをまとめたものである。彼女の作品は哲学的・美的言語を通して語りかけ、鑑賞者の意識的意味付けの中に物事や形態をもたらしていきます。

    その作品から見えてくるものは、あくまで私たちの心を反映したものです。松下まり子の芸術はそのエキゾチックな感覚によって、長い間我々の中に隠されていた心を映し出します。これは我々が人間として生きていることを実感させる感情であり、この感情は我々を力強くさせ、生命の昂ぶりを感じさせるのです。また彼女の作品からは、東アジアの理想的なポストモダンに対する解釈が行われていることが見てとれます。デジタル技術があらゆるアクチュアリティーに挑み、人間のアイデンティティとは何かが疑問になり始めているからです。松下まり子の作品は、本人の意図を超えてそれらに対する生の感覚を呼び起こすのです。

    • インタビュー= Ksenia Rundin
    • 写真= Jörgen Axelvall
    • 邦訳= 右手新土、中橋健一
    • 原文 Odalisque Magazine https://www.odalisquemagazine.com/articles/2018/05/18/mariko-matsushita-oriental-ideals-postmodern-shell-written-by

    -どうしてアーティストになろうと決めたのですか。

    アーティストになろうと思ったことはありませんでした。私は自分のことを話すために、自分自身の言語を必要としていました。私が表現を求めるのは必要に駆られてのことです。私はアーティストではなく、自分自身になりたいのです。

    あなたの作品を拝見し、フリーダ・カーロや、フィンランドのアーティストであるマーカス・ヘイケッロを思い出しました。あなたの作品から、シュールレアリズム、セクシュアリティ、もろく壊れてしまいそうなものを感じました。あなたが作品に込めているものについて教えてくださいますか。

    作品に込めているもの、それは「生きる」という感覚です。生きていると生皮を剥がされるような痛みを感じます。誰とも理解し合えない真っ暗な孤独も感じます。飄々と生きてゆける自由も感じます。天から授けられた運命や、身体の隅々まで広がるような、暖かで自然な幸福も感じることができます。それ自体が嘘だというアイロニーも感じます。

    私は自分が生きているということを、特に、身体的感覚を通して、強く感じ取ります。私は日々運動し、身体を鍛えていますが、それはどんなにテクノロジーが発達しても、私たち人間が一つ一つ小さな肉体を与えられた、非常に鋭い感覚器官の塊であることを思い出させてくれます。

    私たちは体内に、太陽にも似た炎を持ち、宇宙と同じくらい複雑で不思議な存在であると同時に、とても小さな取るに足りない存在であることも、我々自身の肉体が教えてくれます。

    私は常に、自分の肉体の感覚と、時間というものについて考えています。生きることと死ぬことについて、人生を体感しながら考えているのです。

    なぜ、生きているのか。なぜ、人間なのか。なぜ、私なのか。

    そして、他者を必要とする衝動も、生きているという実感の内に、強く感じます。

    女性の体をたくさん描いているようなのですが、キャンバスに描かれているのは誰ですか?

    女性、男性に関わらず、私が最近描いているのは、私自身か親しい友人たちです。私の絵は、言葉でもあり、鏡でもあり、私の心の友達でもあるので、親しく、思い入れのある人たちがモデルになっています。描かれたときには私たちの関係は終了していることもあります。私は彼らの知らないところで、対話し、彼らを呼び戻しています。そのようなとき、描くことは出会いや別れといった運命の儀式でもあります。

    今後も実際に出会った人たちを描きたいと思っており、それは私自身のルールに基づいた生活の上に成り立つ人間臭い表現になると思います。

    あなたの絵の筆致はヴァン・ゴッホのような印象もあります。そう言う私は間違っていますか?どう思いますか?

    絵画について、誰がどう思うか、見る人の自由だと思います。絵は鏡のような役割もします。ゴッホのように見えるあなたの心の中に、ゴッホが生きているのです。それは尊いことです。

    映画「華氏451」の中に、「本の背後には人間がいる。それに惹かれるんだ」というセリフがありますが、それは全ての文学、全ての芸術に言えることだと思います。

    芸術の非常に強い力は、作品を作ることだけではなく、時間と空間を隔てて、遠くの誰かに途方も無いメッセージを届けることだと思います。それは生きる為のメッセージで、簡単に言語化されず、究極には愛や人間性への途方も無いメッセージです。

    私自身は愛について過敏で攻撃し逃走する方だったので、それのことは空を覆うような巨星だと想像していました。私に何か働きかけ、生きるように突き動かすエネルギーです。

    立石幹人さんとのコラボレーションについて教えてください。このコラボレーションで目指したものは何ですか。

    私自身の記録です。

    いつか、私自身の肉体も死を迎える日が来ます。その日まで、私は自分や他者の肉体と感覚を、絵や写真や映像や詩で、記録し続けるでしょう。私は自分がとても小さな存在だと理解していますが、その記録が、他の誰かの生きる手助けになるような気がしています。

    人間の意識が目覚める場所はとても暗い場所です。その拠り所のない暗がりで、次の飛び石を置くような作業が、芸術にはできると思います。

    具体的には、私は2017年の夏、3ヶ月間をロンドンのデルフィナ財団で過ごしました。その間、私は部屋の窓に赤い布を吊るし、太陽の光で赤く染まった部屋で、毎日を暮らしていました。部屋には日々の買い物が溢れ、作りたいと思った様々なものが堆積していきました。赤い部屋は、精神的にも影響があり、昼間のピンクがかった光のとき、夕方の赤黒い光のとき、私は様々な心理状態を経験しました。少しナーバスで、奇妙な気持ちです。私はだんだんと食肉を使った作品を作ってみたいと思うようになり、それは赤い部屋という擬似的な子宮の中で、虚構の妊娠を経験するような、そういった作品へ促されていきました。

    最初は小さな肉の塊を動物の形に彫る作品を作っていたのですが、だんだんと肉が大きくなり、最後には14.4キロの肉の塊と街を歩き、裸で部屋にいることになりました。

    ミキト君とのコラボレーションは、インスタレーションでもあり、パフォーマンスでもあった「赤い部屋」の記録です。

    ファッションブランドとのコラボレーションも行っていらっしゃいますが、アーティストとしてファッションについて取り組んだことによる経験を教えてくださいますか。

    まず、私は絵画のデータを貸しただけで、服そのもののデザインにはほとんど関わっていません。しかしながら、自分の絵がアトリエや展示場所だけでなく、人々の身に纏うものになって、街へ出て行くのは大変興味深い経験でした。

    私が10代を過ごした1990年代には日本のハラジュク・ファッションをスナップした雑誌がいくつもあり、ファッションとは私にとってストリートのものでした。今回コラボレーションした二つのブランドも、若い女性向けのブランドです。芸術が気軽なものに転化することを嫌う人もいますが、私は制作を通じてもっとストリートへ出て行きたいと考えています。それは映像やパフォーマンスや詩など、絵画だけではない表現へ私を導くと思います。

    デザイナーの女性は、服を着ることであなたの作品になれる、あなたの作品になりたい、という意味のことを言ってくれました。よいことだと思います。私の絵だけでなく、たくさんの人々がアートを着て、アートになり、力強く自由に生きて欲しいと願います。そして逆説的に、何も着ず、何も持たなくても、何歳になっても、自分自身でいることもできるし、たった一編の詩を書くことからでも芸術に飛び込むことができるのだと感じてほしいです。

    今後、新たにファッション・ブランドとのコラボレーションの計画はありますか。

    まだ何も決まっていませんが、私個人は着物を作ってみたいと思っています。

    着物は日本の伝統的な衣服であると同時に、とても平面的な作りをしていて、部屋の中に吊るして飾っておく絵画のような役割もしていました。

    私は多くの日本人同様、近代的な子供時代を送り、伝統的な日本の生活とは切り離されてきました。しかし私は芸術に触れ様々な考えを深めるうちに、徐々に東洋的な考えに戻ってきています。昨年のデルフィナ財団滞在や、ヨーロッパ各地を旅した際も、改めて日本の文化に気付かされることが多くありました。衣服だけでなく、西洋と東洋の知恵の融合が大切だと思います。

    創造性や持続可能性におけるアートとファッションがお互いに学びあえることについてどう思いますか。

    ファッションについて私は専門ではありません。しかし変化していく社会に目を向けると様々なことが考えられます。例えば、ファッションに表現され牽引されているジェンダーレスな世界観、インターネット上で展開されている身体をスクリーン化したコミュニケーション、それからこれまでは必要に応じていた義手や義足といった人工四肢もトランスヒューマニズムの観点から更に変化していくでしょう。

    医療の発達は人々に装うことを促します。現在すでに義足のデザインはかなりアーティスティックなものになっています。未来を空想すると、身体拡張は一般的なファッションの分野のものになり、人々の「美」の感覚は更に多様になるだろうと思います。

    生まれてくる子供の肌の色や髪の色、身長などを遺伝子的にカスタマイズできる時代も来るかもしれません。なぜ、私なのか。私の心とは一体どこに宿っているのか。身体性の拡張とともに、多くの人が自分自身と「人間」という問いに耳を傾け考える時代が再来するでしょう。非常に重要なことです。私たちはますますテクノロジーの発達する時代の、運河の流れの只中に生きています。自分が自分であることを失わず、知性的で、素敵な大人に成長するために、そして次の世代を常に救い続けるために、あらゆる芸術や音楽や文学は、重要な役割を果たすでしょう。

    私はこれから世界を旅し、様々な文化圏での性愛と死生観について知りたいと思っています。その途上でファッションについても芸術についても多くのことを学ぶと思います。それらを洞窟壁画のように古典的に、魔術的に描きながら、未来を夢見ることもやめないでしょう。