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matchbacoでは2014年12月26日から2015年1月24日まで、野村貴之による個展「地を這う舌」を開催いたします。 輝くような色彩とディテールが特徴的な野村の作品は、躍動感や怒りに満ちており、偽善的現代社会が孕む本質と、使い捨てられる世代の苦悶を切なくも反映している。これらの絵画は、労働者が直面する屈辱や葛藤、また礼節と狡猾のヴェールを覆い変装する現代社会への苛烈なまでの風刺を描いたものである。「地を這う舌」と題された本展では、個々が織りなすしがらみの中で視覚化される“人間存在の無情な本質” を目撃することとなるだろう。 午後2時~午後9時 月曜定休 金・土曜日は深夜0時まで開廊 ステートメント =========== 圧倒的な権力により、不当に打ちのめされたことはないだろうか。 残念ながら教育されて来た倫理観や正義感など、この社会で機能する事はきわめて少ない。
猾いことが賢いとされ、悪い事が強いとされる、この腐りきったバカ社会では。
もし前述を否定する意思があなたに生まれたとすれば、それは教育されてきた倫理観、正義観からの抗いにすぎない。
心ではなく、ただ器官としての目で社会を見つめれば、そこには感情論なき事実が存在する。
都合の悪いものから目を反らす事を覚え、不誠実な態度を「柔軟な対応」と呼び、意志があれども黙っていることが上手になればなるほど、私たちは「大人」になったと賞賛される。
そうして、「大人」になることが正しく立派な事なのだと、洗脳されていく。 社会的に権力を持つ悪しき豚共は「大人」を好む。 考えることを放きした者は利用しやすいからだ。そして奴らが楽をする為、得をする為、「大人」という持ち駒を使いボードゲームを楽しむ。
それに耐えかねた駒達は精神的、 肉体的に破壊されてしまう。けれども権力者共は安心していられるのだ。
ストックはごまんとあるのだから。そして悪しきサイクルは今も潤滑に機能している。 奴らは、そして奴らの属する社会は、倒れ歩けなくなり、ボードの上からドロップアウトした心柔らかき人々を、負け犬とみなすだろう。
立ち上がれず地を這うあなたには、テーブルもイスも食事も用意されない。 それらは駒で在るが故に与えられた、安定であったからだ。 そうして地に落ちた果実を砂とともにかじり、くつ辱に泣くだろう。
しかし、どうか忘れないでいて欲しい。くつ辱を感じるのは、あなたが高潔なる人間だからだ。倒れてすら尚、這い進むのは、あなたが強き人間だからだ。
あなたは、生きる為、砂まじりの果実を食っている。いつか誠実なる力を、その誠実なる精神に宿す為に。 くつ辱ですら喰うのだ。悪しきサイクルをぶっ壊し、身の程知らずの権力を持つ豚共を引きずり下ろすその日まで。 いまは、地を這う、舌となれ。 _ー 野村 貴之_